四日市高校ディベート部とは?                                                            


四日市高校ディベート部とは一体何物なのか?その疑問にお答えするため、その実態をあらゆる角度から検証し、皆様にお伝えするコーナーです。
校内でも謎の組織と噂されるディベート部ですが、このページで少しでもディベート部に親しみを持っていただければ幸いです。

1.四日市高校ディベート部の歴史
2.四日市高校ディベート部の活動実態
3.四日市高校ディベート部の活動成績
4.ディベート部QandA


1.四日市高校ディベート部の歴史

四日市高校ディベート部はその成立から現在に至るまで、様々な困難を乗り越えてきました。そんなディベート部の苦難の歴史を時代ごとに整理して簡単にご紹介します。なお、細かい情報についてはディベート部の歴史年表を、部員(ペンネーム表記)についての情報は部員紹介を参照してください。
(歴史解説:四日市高校ディベート部歴史教科書編纂委員・愚留米


T ディベート前史(社研時代)
1998年10月、四日市高校に一種の奇跡が起こりました。後にディベート部初代総裁となる大エム氏を中心に同好の士が集結し、「政策文化研修会」が設立されたのでした。これはすぐに「21世紀社会科学研究会」に改称し、週一回の討論活動を展開したのでした。
そして99年、この会は「社会科学研究会」と改名して同好会に昇格しました。この時期、第一帝政と呼ばれる権力闘争が勃発して会は解体の危機を迎えるのですが、ディベート大会の開催を知った主要メンバーが未知の競技ディベートへの参入を決め、初の大会参加に踏み切ったのでした。

99年7月、社会科学研究会は四日市高校史上初めてディベートの大会に出場しました。しかし大会では東海高校に敗北し―――これが四日市高校と東海高校の長き戦いの始まりであったわけです―――全国大会への出場はなりませんでした。
ですが、この敗北をはじまりとして社会科学研究会はディベート活動を部の中心に据え、2000年のJDA春期大会に出るなどして本格的なディベート集団に近づいていったのです。

この社会科学研究会こそが、現在のディベート部の起源なのです。

U ディベート部誕生(古代ディベート部)
2000年3月中旬、会員数が定員に達した社会科学研究会は部昇格を勝ち取りました。このとき、部の名称として「ディベート部」、愛称「ADC(Academic Debate Club)」や部のロゴマークが決定しました。そして4月、四日市高校にディベート部が正式に誕生したのです。

新入生の勧誘で失敗したディベート部ではありますが、昨年の雪辱を晴らし全国大会に出場するための活動を力強く展開していきました。しかし2000年7月、高山西高校に東海大会初戦で敗退、またしても野望はついえたのでした。

この大会の敗戦をもって社会科学研究会を創設した偉大なる初代メンバーは引退(大エム氏は秋のJDAも参戦)し、新しい時代がはじまったのでした。

V 全国進出(中世ディベート部)
2000年9月、JDA秋期大会(ちなみにここでも東海高校のディベーターに敗れ、決勝に進めず)の終了で部長は京矢に交代し、新体制のディベート部がスタートしました。この時代、部員は京矢と愚留米の2人きり。ディベート部冬の時代がはじまりました。

しかし、部長の京矢は第二反駁者として類稀なる才能を発揮し、11月の千種杯でディベート部初の大会優勝を飾り、また翌年の東海地区春期大会では3位入賞、さらには京矢のベストディベーター賞受賞など、うなぎのぼりの実績を挙げました。
その一方で春の新入生勧誘には失敗し、部員は1人しか入らず。冬の時代は続くかに見えたのですが、メンバーが風邪をひいていることにして愚留米がパートを兼任するというバレバレの裏技でこれを乗り切ったのでした。

そして2001年7月。ディベート部は東海地区夏季大会で3位に入賞し、念願の全国大会出場を果たしたのでした。全国大会ではベスト16で敗退しましたが、この成果はディベート部にとって大きな一歩となりました。

W 雪解けと新世代の台頭(近世ディベート部)
全国大会終了後、部長は京矢から愚留米に交代しました。またしても部員は2名、それも第二反駁のエースを欠いたディベート部はしばらくの間勝利から遠ざかり、一時築いた名声も徐々に薄れてきました。しかし、愚留米の勧誘でメルルーサが入部し、また京矢の後任シリウスも徐々に成長してきたことでディベート部は2002年東海地区春期大会で3位入賞を果たすことができました。

そして運命の春、新入生勧誘。ここでディベート部は4名もの新入部員を獲得し、活気を取り戻すことに成功しました。それと同時に部員教育制度の不備や部長による独裁体制の弊害など様々な問題が現れましたが、これによって新入生教育テキストが作成されるなどディベート部は大幅な変化を遂げ、近代化の道を歩み始めたのでした。

このとき入部した4人はチームを編成し、ディベート部初のB論題(東海地区独自論題)大会出場という快挙を成し遂げました。それだけでなく、夏季東海大会ではB論題準優勝と1年生のベストディベーター賞輩出という素晴らしい実績を挙げ、ディベート部の明るい未来を予見させてくれました。A論題(全国論題)のレギュラーチームも3位に入賞して2年連続全国大会出場を果たしたディベート部は、全国大会でもベスト8の成績を残しました。

ディベート部にようやく、新しい風が吹き始めたのです。

X 民主共和制の樹立(近代ディベート部)
愚留米が引退し、部長はシリウスに交代しました。初代メンバーと直接活動をともにした最後の人間が引退したことは、部長の権威により少人数の部活を牽引する全体主義体制の終焉を意味し、部員相互の協力をこれまで以上に重視した民主共和制が成立しました。

新チーム結成当初は経験不足による混乱などもあり、2003年東海地区春季大会では予選敗退しました。新入生勧誘でも部員は1人しか入部せず、ふたたびディベート部は危機を迎えましたが、夏までには戦力を充実させ、この年の東海地区夏季大会ではディベート部史上初のA論題準優勝という実績を打ち立てたのでした。同時に、ディベート部は全国大会に3年連続出場することになりました。

全国大会でベスト16まで進出したディベート部はその後シリウスの引退と飛影の部長就任により、新チームへと生まれ変わりました。
ディベート部は部の存続と全国大会優勝の2つを目標に、今も活動を続けています。

いろいろと訳の分からないことを書いていますが、簡潔に言えば「部員不足で苦しみつづけた(現在進行形)」ということです。詳しくは最寄の四日市高校ディベート部部員に聞けば、あることないこといろいろ話してくれるでしょう。

2.四日市高校ディベート部の活動実態

四日市高校ディベート部は四日市高校の公認部活動として、ディベートの試合に参加することを中心としたディベート活動を行っています。
部員の都合に合わせて(試合前は原則毎日)放課後に集まり、論題についてのリサーチや議論の構築などに励んでいます。最近ではIT革命の恩恵によって部室のノートパソコンからネットサーフィンも楽しめるようになり、論題のリサーチや部員のストレス解消に一役買っているとかいないとか。
詳しい活動内容は入部ガイダンスに載せてあるので、そちらを参照してください。

さて、以下ではディベート部の年間活動の概要をご紹介します。


ディベート部の1年
4月 新入生歓迎会と部結成。新しい部員を迎え、今年一年頑張ろうと気持ちを新たにします。
新入部員には入部してから、基本となるフローシートのとり方や簡単なルールなどを、ビデオ教材(試合のビデオ)も用いながら指導します。
5月 来月に迫った東海大会に備えて準備を本格化させます。新入生でチームが組める場合は、東海地区独自論題であるB論題に出場するための準備を新入生チームが中心となって進めていきます。
この頃には練習試合も何度か行われます。
6月 夏季東海大会が行われます。
この大会で上位に入賞すると全国大会への出場権が得られます。
7月 全国大会出場権を獲得していれば、この時期は東海地区代表校との合同練習会など、全国に向けた激しい準備が行われます。
もし東海大会で負けていれば、暑いゼミ室で一足早く資料の片づけをするはめに。しかし、全国大会の準備をしないので宿題は早く終わるでしょう。
8月 全国大会(ディベート甲子園)が開催されます。この大会が終わる頃には、部の執行部も交代して新体制が始まります。
また、全国大会に出ていようがいまいが、月の後半には9月の四高祭(四日市高校の文化祭)に向けた準備を行います。
9月 四高祭で恒例となっている、ディベート部の展示発表と冊子配布を行います。冊子では部員が書いた文章や論題についての報告などをまとめます。例年多少の観客は来ますが、基本的に部活動の展示は人気がない(!)ので、部員達はあまり人目を気にせず我が道を行く作品を作ります。
秋・冬 この時期は公式戦がないのでディベート部も冬眠に入るのですが、東海地区で行われる高校主催の大会や練習会、市民ディベート大会などがあるので、部員の都合なども考慮しつつ、そうしたイベントに積極的に参加していきます。
3月 次の全国論題が発表されます。ディベート部は本格始動し、月末に迫った春季東海大会に向けた準備を開始します。
しかし、それと同時にディベート部は4月の新入生歓迎会の準備など部員勧誘への対策も始めなければならず、非常に忙しい月となります。


3.四日市高校ディベート部の活動実績

ディベート部がこれまでどのような実績を挙げてきたのかを簡単に紹介します。

試合の勝率
ディベート部では教室ディベート連盟主催の試合(春・夏の地区大会や全国大会など)とJDA(日本ディベート連盟)の試合を公式戦と呼んでいます。これらのその他高校の自主開催大会を含めて2002年夏までの試合を参考に挙げますと(地区大会では全国論題のみ含み、また2チーム出場の場合全てかぞえる)と、有効試合数全44試合(内14試合社研時代、以下同じ)のうち24勝(6勝)20敗(8敗)であり、はっきりいって数字上あまりよい成績ではありません(名誉の為言っておきますと、練習試合の勝率はもっとよいのですが)。

大会での実績
ディベート部がこれまで参加した全ての公式戦と、3位以内に入賞したその他の大会の実績をご紹介します。

1999年東海地区夏季ディベート大会 7位(全国出場ならず)
2000年JDA春季大会 12位(1勝1敗)
2000年東海地区春季ディベート大会 ベスト8
2000年東海地区夏季ディベート大会 初戦敗退(全国出場ならず)
2000年JDA夏季大会 8位(2勝1敗)
2000年11月開催・千種高校主催千種杯 優勝
2001年東海地区春季ディベート大会 3位入賞
反駁の部ベストディベーター賞受賞(当時部長:京矢)
2001年東海地区夏季ディベート大会 A論題3位入賞(全国出場決定)
A論題質疑の部ベストディベーター賞受賞(当時副部長:愚留米)
A論題第二反駁の部ベストディベーター賞受賞(当時部長:京矢)
第6回全国中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園) 全国ベスト16
2002年東海地区春季ディベート大会 3位入賞
2002年東海地区夏季ディベート大会 A論題3位入賞(全国出場決定)
B論題準優勝
B論題第一反駁の部ベストディベーター賞受賞(プッカ)
第8回全国中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園) 全国ベスト8
2003年東海地区春季ディベート大会 予選敗退(リーグ1勝1敗)
2003年東海地区夏季ディベート大会 A論題準優勝(全国出場決定)
第8回全国中学・高校ディベート選手権(ディベート甲子園) 全国ベスト16


4.ディベート部QandA

ディベート部について気になる(?)情報をQandA方式でご紹介します。この他に質問がある方は遠慮なくメールで質問をお寄せください。責任を持ってお答えさせていただきます。

Q:四日市高校ディベート部は普段どういった形で活動しているの?
A:部員が勝手に活動しているといった感じでしょうか。
ディベート部は生徒が勝手に作った部活で、歴史も浅いため活動内容が確立しているわけではありません。顧問の先生も自由にやらせてくれているので、部員の都合で練習や試合参加日程を決めたり、自分たちで必要だと思う準備をしたりといったふうに活動をしています。それでも基本的に公式戦を節目として活動しているので、活動がばらばらになってしまうということはありません。

Q:ディベート部の今後の野望は何ですか?
A:なんといっても部員確保ですが、最終的には全国優勝を成し遂げたいですね。

ディベート部が無くなってしまえば野望など追うことはできませんし、たくさん部員がいたほうが楽しいので、まず第一にたくさんの新入部員を獲得したいというのが部活としての目標です。それを前提として、やっぱり高校ディベーターの夢である「ディベート甲子園優勝」を目指したいものです。三重県に四日市あり、と言われるくらいの全国区チームになりたいものですね。

Q:四日市高校ディベート部の特徴といえば?
A:変わった人が多いということでしょうか。

これはディベーター一般に言えるのかもしれませんが、四日市高校ディベート部には歴史的に見ても変な人がたくさん入部しています。もちろん変態とかいうのではありませんが、とにかく個性派揃いですね。それが良くわかるのが、毎年作っている謎の冊子や伝説のリレー小説「ディベ部伝」などの怪しい作品です。このあたりまで来るとディベートと全く関係ありません。
ちなみに四日市高校ディベート部は部員不足ということもあって3年生までディベートを続けることが伝統となりつつあります。定期試験はおろか受験勉強までも投げ打ってディベートを続けるディベート馬鹿(一説には「ディベート原理主義」とも言う)が集うディベート部は、ある意味変わった集団です。もちろん、ディベート馬鹿になるのは強制ではありませんよ。

Q:ディベート部の部室が怪しいと聞いたのですが・・・・。
A:ええ、怪しいですとも。それでも住めば都です。

四日市高校ディベート部には部室があります。その名はゼミ室。一般教室の3分の1くらいの大きさで、授業には使われず廊下から中の姿をうかがい知ることは出来ない、謎の空間です。しかし場所は1年生教室と隣りあわせで渡り廊下とも直通(!)という非常に便利な場所にあります。それだけに怪しさが際立っています。一説には設計ミスで生まれた教室という噂も・・・。(こちらが部室の写真)
照明が暗いこともあって中は確かに怪しげな雰囲気なのですが、黒板もたくさんあり、机や扇風機など備品も充実しており、そして何故かインターネット回線が引かれているという優れた利便性から、部員達の間では意外に快適だとの評判も。隠れ家チックな雰囲気は中を覗いた一部の生徒には好評だったりします。それでも怪しいのは事実なので、新しく出来た図書館棟に部室がほしいと思う今日この頃です。

Q:全国のディベーターの皆さんに一言!
A:四日市高校ディベート部をよろしくお願いします。

四日市高校ディベート部は全国のディベーターとの交流を楽しみにしています。というか、そういう要素がないとディベートの楽しみも半減ですからね。東海大会や全国大会でお会いした際には、どうぞ仲良くしてやってください。ディベート部の中には日頃の苦労(部員がなかなか入らないことなど)もあって内気な人もいるのですが(このあたりつながりがよく分かりませんね)、話し掛けていただければ同じディベーター同士話もはずむと思います。
あとお願いといえば、四日市だからといってすぐに「四日市ぜんそく」の話をしないでくださいね。


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