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部員紹介



ここでは、四日市高校ディベート部の部員紹介を行います。歴代のOB・OGについても一部ご紹介しております。
なお、部内規定であるディベート部運営法によりディベート部員にはペンネームが定められることとなっており、HP上では各部員はこのペンネームによる表記で紹介させていただいていることをお断りしておきます。

<ディベート部第1期メンバー>

大エム氏 人物紹介
ディベート部の前身となる社会科学研究会を設立した、ディベート部の父。無からディベート部という特異な組織を作り上げた功績は現代でも部員達のあいだで語り継がれている。
謀略家の毛利元就を心から愛し、自らも策士として四日市高校生徒会を実効支配する(生徒会長に就任)などその知力を大いに発揮したが、常人離れしたその知性は新入部員勧誘にはいささか不向きであったようである。
ディベート未経験ながら四日市高校を導き、鬼のような資料読解など現在のディベート部の基礎を築き上げた功績も大きい。
ディベート略歴
主に第一反駁を担当。2年夏からディベートをはじめ、試行錯誤の中でディベート甲子園出場を狙うも野望は果たせず。3年の夏にはJDA秋大会で8位。
主な著作
総裁のコラム』(HP上で発表)、『ディベート的な、あまりにもディベート的な』(2000年四高祭冊子で発表)など

―――4月ごろから受験期に入り、第1世代のうち、どれだけの人が残っていけるのかという問題があり、急激な世代交代は第2世代に大きな負担を強いることになるのではないかと考えました。その結果、私は河合塾進学も辞さない構えで、夏大会まで最前線で戦うことにしました。
『総裁のコラム』
部内役職・経歴
1998年:
21世紀社会科学研究会設立
1999年:
社会科学研究会代表就任
2000年:
ディベート部部長就任(2000.4〜2000.7)
ディベート部初代総裁就任

現在:
ディベート部総裁
歴史教科書編纂委員長
K☆R 人物紹介
大エム氏とともに社会科学研究会の初代メンバーとしてディベート部の発展に貢献した。その高い技術力からディベート部の電脳部門を統括し、社会科学研究会時代数少ない携帯所持者として外交部門も取り仕切った。現在でも影の実力者として君臨している。
ディベート部屈指の好色家としても知られ、「人生はエロース」の名言や女子部員欠乏説(ディベート部の停滞は女子部員の不足が原因だとする学説)などで有名。ユーモアのセンスにも優れ、何人かの新入部員候補にキャラクター開発を試みた結果入部の意志を削いだことも。
ディベートではフローシート能力が群を抜いて高かったが、女子チームのスピーチに気を取られてしまうため、スパイとしての評価は高くはない。
ディベート略歴
様々なパートを担当。3年次にはB論題責任者に選ばれるが、メンバー調達に苦しんだためにチーム編成を断念する。
主な著作
『ADC緊急アンケート』(部外秘)など

―――人生はエロースである。ディベートもエロースがないとやってられない。
『K☆R名言集』
部内役職・経歴
1998年:
21世紀社会科学研究会に参加
1999年:
社会科学研究会へ
会の公式HP管理人就任
情報相に任命される
2000年:
ディベート部公式HP管理人を引退

現在:
ディベート部電脳顧問
歴史教科書編纂委員
奥羽 人物紹介
ディベート部史上最も謎に包まれた人物。初代メンバーとしてディベート部を支えてきたが、その言動は人知を超え、瞬間移動疑惑や黒いオーラ伝説など多くの列伝を残している。鉄道旅行部とディベート部の外交関係樹立にも貢献。
変わり者の多いディベート部にあってもそのパワーは他を圧倒し、鉄道を中心としたマニアックな知識は圧巻の一言。ディベート部で唯一、物理学の専門書を読みこなして資料にしていたが、マニアックすぎて実戦投入はされなかった。
ディベートでもその知識を遺憾なく発揮して深い質疑を行ったが、深すぎて理解されなかったこともしばしば。
ディベート略歴
主に質疑を担当。得意分野の原発論題でも質疑で出場するが、ディベート甲子園出場は叶わなかった。
主な著作
受験の裏道日記』(HP上で発表)など

―――その後ホテルへ向かう。14時半。店を出た直後足がまたつる。しばらく、道路のど真ん中で休む。駅前で、東南アジア系みたいな人に、「イイミセ、アルヨ」などとさそわれる。このとき、こけそうになった。しかし、持ちこたえたため、逃走に成功。ホテルに着く。
『受験の裏道日記』
部内役職・経歴
1998年:
21世紀社会科学研究会に参加
1999年:
社会科学研究会へ


現在:
歴史教科書編纂委員

<ディベート部第2期メンバー>

京矢 人物紹介
ディベート部で社会科学研究会を知る最後の存在。動乱の社研時代にあって中立を保って会の安定に務めた。部長就任後には生徒会との協調政策などで部活動の安定を図り、チームを初のディベート甲子園出場に導いた。
馬をこよなく愛し、競馬に関して語らせると止まることはない。一方でディベート部史上稀に見る温和な性格を持ち、部員2名という冬の時代にあってもサボる後輩を決して叱ることはなかったという。
ディベートに関しては部長就任後に開花し、「京矢マジック」として部の伝説となった第二反駁で部を牽引した。論壇に立つと人が変わったように(相手にとって)いやらしい反駁を繰り出すが、漢字の読みに弱いことと、たまに大混乱してしまうことが数少ない弱点。
ディベート略歴
主に第二反駁を担当。2000年千種杯優勝、2001年春大会3位、同年夏大会3位、ディベート甲子園ベスト16の実績を残す。ちなみに、2001年春・夏の東海大会で連続してベストディベーター賞を受賞している。
主な著作
部長・京矢の言葉』(HP上で発表)、『ある男の一日』(2001年四高祭冊子で発表)など

―――授業を終えた私は帰路についた。空はすでに赤く色をつけ美しさと虚しさをはらんでいた。私は思わずHuman Life の無常さを考えずにはいられなかった。私はこのLife でいったい何ができるのだろう。そしていったい何が残せるというのだろうか。私は無気力感に襲われ、周りの風景を堪能できないほど自分を見失っていた。
『ある男の一日』
部内役職・経歴
1999年:
社会科学研究会に入会
2000年:
ディベート部副部長就任(2000.4〜2000.7)
ディベート部部長就任(2000.7〜2001.8)
2001年:
ディベート部2代総裁就任

現在
ディベート部総裁

<ディベート部第3期メンバー>

愚留米 人物紹介
部昇格後初めての新入部員。部員不足解消をディベート部在籍中の至上命題としており、個人的な部員勧誘で成果を挙げるとともにディベート部HPの管理など広報活動にも積極的に身を投じた。また、ディベート部憲法・運営法の制定など法律整備にも従事。
三國志を好み、尊敬する武将は曹操孟徳。愚留米という名の通り食べ物に目がなく、全国大会レセプションパーティーでは恥ずかしい姿を晒す。時に部室で爆睡し、また時に電氣部でゲームに興じたりもした。
ディベートでは早口スピーチで悪名高く、四日市高校のコミュニケーション点の平均を1点は下げたことと推測される。また、作成する立論が殺人的に長いことでも知られる。それでも、2年と3年にはディベート甲子園に出場している。
ディベート略歴
立論を経て第一反駁を本業とするが、部員不足の時代には質疑も兼任。京矢時代には質疑+第一反駁としてその覇業を補佐し(京矢のディベート略歴参照)、2001年夏の東海大会では副業の質疑でベストディベーター賞受賞。翌年には春・夏大会連続3位とディベート甲子園ベスト8の実績を残す。
主な著作
愚留米のディベート日誌』(HP上で発表)、『愛は虚数単位』(2002年四高祭冊子で発表)など

―――世の中には変わった人がたくさんいます。例えば、ディベートなどという競技が好きで好きでたまらなくて、遊園地に行ってもディベートの話をしてしまったり、電車の中で友達に会っても資料から目が離せなかったりする人たちです。
『愛は虚数単位』
部内役職・経歴
2000年:
ディベート部に入部
ディベート部副部長就任(2000.7〜2001.8)
ディベート部公式HP管理人を継承する
広報相・情報相に任命される
2001年:
ディベート部部長就任(2001.8〜2002.8)
広報相の職を退く
2002年:
ディベート部3代総裁就任

現在:
ディベート部総裁
ディベート部公式HP管理人
歴史教科書編纂委員
吉法師 人物紹介
愚留米のクラスメイトであり、彼のしつこい勧誘にディベート部の支援を開始する。類稀なる作画力とポスター作成能力を生かしてディベート部のポスター・ビラ作成を担当し、大きな成果を挙げた。また、四高祭の冊子作成においても良質な文章を残した。
日本史に長じ、特に戦国時代に関しては日本でも有数のマニアである。ちなみに吉法師とは織田信長の幼名であるが、彼が愛する大名は尼子家と北条家である。
ディベートでは、作画同様に字も上手であることからきれいにフローシートをとることで知られる。
ディベート略歴
質疑を担当。2001年の全国大会では経験不足でありながらも質疑パートを全うする。その後も質疑として試合に出場し、2002年の春大会をもって引退する。
主な著作
『山中鹿之介とディベート部の相関』(2001年四高祭冊子で発表)、『へっぽこ草子』(2002年四高祭冊子で発表)など

―――ディベート部についても、ある固定概念がどうも本来のイメージを鈍らせているようでならない、という気がするというより確信に近い。その固定観念がどこから湧き出しているか分からないから対策の講じようがないし、それゆえに今のディベート部が壊滅の憂き目に遭っている、という状況がある。
『山中鹿之介とディベート部の相関』
部内役職・経歴
2000年:
ディベート部の臨時部員となる(10月頃)
2001年:
ディベート部正式入部(7月頃)
広報相に任命される

現在:
ディベート部OB
メルルーサ 人物紹介
愚留米のクラスメイトであり、彼の依頼を受けてディベート部に入部する。兼部している部活の活動や受験勉強など多忙な中、ディベートの準備に多大な労力を割いて貢献した。コンピュータ操作にも通じ、資料編集においても活躍した。
多芸多才な人材で、さらにはディベート部に今ひとつ欠けていた勧誘センスを有していたことから、ディベート部に大量の新入部員を入部させることに成功する。方針の違いから部長・愚留米と対立することもあったが、仕事には手を抜かないので愚留米には文句のつけようがなかったという。
ディベートでは演劇部仕込みの滑舌と明晰な頭脳、事前の練習で立論の仕事を完璧にこなし、愚留米作の重量級立論をも苦もなく読みきった。その技術の高さは東海地区でも一目置かれていた。
ディベート略歴
立論を担当。2002年の春・夏の大会で勝利に貢献し、この年のディベート甲子園にも出場する。
主な著作
『一生懸命であることの意義』(2002年四高祭冊子で発表)など

―――部活や学校行事は社会に出てからのスポーツやサークルなどとは異なります。部活や学校行事では見返りのない目標に対して一生懸命取り組みますが、社会に出てからの活動では同じようなことをやるにしても、大抵、見返りが存在する、もしくは程々にしか取り組まない場合が多いのです。そして、前者でなければ得られない感動が存在するのです。
『一生懸命であることの意義』
部内役職・経歴
2001年:
ディベート部に入部(11月頃)
2002年:
新入生勧誘作戦総指令官に任命される

現在:
ディベート部勧誘作戦顧問

<ディベート部第4期メンバー>

シリウス 人物紹介
部員不足にあえぐディベート部にただ一人入った希望の星。運悪く温和な京矢からスパルタ愚留米に政権が移った頃に反駁陣に加わったため、長い間愚留米の叱責を受けつづけるはめになった。
初代総裁に勝るとも劣らない高い野心を持ち、金と権力に至上の価値を見出す。緑茶を嫌い、また部室の汚なさを許せなかった彼は緑茶大好き・掃除嫌いの愚留米と度々論争を繰り広げた。
ディベートでは緊張のあまり謎のスピーチをすることも多々あったが、フィーリングに合ったときのスピーチはかなりツボにはまっている。ディベート部で唯一3回ディベート甲子園に出場するというすごい実績も残している。
ディベート略歴
立論を経て第二反駁を本業とする。京矢・愚留米時代の東海大会4連続3位の実績に貢献し、自身が指揮を取った2003年には夏の東海大会で2位、そしてディベート甲子園ベスト16の成績を残す。
主な著作
シリウスの本音Deトーク』(HP上で発表)、『夢』(2003年四高祭冊子で発表)など

―――つまり現代の強者のバロメーターとは、どれだけ金を持っているかである。考えてみればすぐわかることだ。今、何をするのも金・金・金・金。もう、人間は現代を生きてるだけですでに金の亡者だ。
『シリウスの本音Deトーク』
部内役職・経歴
2001年:
ディベート部に入部
ディベート部副部長就任(2001.7〜2002.8)
2002年:
ディベート部部長就任(2002.8〜2003.8)

現在:
ディベート部OB

<ディベート部第5期メンバー>

飛影 人物紹介
歴代部長の中ではかなり異質で、普段は「まったり行こうよ〜」をモットーにして、常に部室にマイナスイオンを発している。
この性格のおかげで、勉強に関する危機感ゼロという欠点も持ってしまったが、ディベートとなると大きなエネルギーを注ぎ、試合前夜はほぼ徹夜で準備に励む。本人曰く、「試合前に寝ると不安になる」そうである。その甲斐あってか、試合では「ひぇ〜」から「飛影」への変貌をなす。
立論に関しては、たった1秒の狂いも許さない完璧なペースを保ったため、「立論職人」の肩書きを持った。最近は第一反駁で独自の世界を繰り広げ、活躍中。今後の活躍に期待がかかる。
ディベート略歴
1年生では、主に立論を担当し、2002年夏のB論題準優勝に貢献、同年全国大会でベスト8が決定した試合にも出場している。2003年の春大会後からは第一反駁を本業とし、夏の準優勝・全国ベスト16に貢献。部長就任後は12月の第一回三重県大会では準優勝を、1月の千種杯では優勝を導き、それぞれベストディベーター賞に選ばれている。
主な著作
『この文を読んだ人へ』(2002年四高祭冊子で発表)など

―――4ヶ月前の放課後、ぼくはどこのクラブに入ればいいか分からず、路頭に迷っていた。優柔不断な自分に絶望しつつ、ぶらぶらと行くあてもなくさまよっていると、ふとゼミ室という奇妙な部屋の前で足が止まった。『ディベート部』という不穏な響きに、ほんの少しでも興味を抱いてしまったことが、間違いだったのだと、今でも思う。
『この文を読んだ人へ』
部内役職・経歴
2002年:
ディベート部に入部
2003年:
ディベート部部長就任(2003.9〜)

現在:
ディベート部部長
ちょん 人物紹介
ディベート部では前代未聞の天然キャラ。その穏やかな性格が悪く転がり、優柔不断に陥ってしまうこともあるが、ここ最近のディベート部を平穏に保つことにはこの性格が貢献するところが大きい。
部内では、その文章能力とカラーコーディネイト能力を認められ、立論制作だけでなく、新入生勧誘メッセージ・ビラ・部員勧誘ポスターなどの制作を担当している。ディベートにおいては、プラス志向で着実に力をつけている。また、書記としては、論題について話し合ったことをノートにまとめておき、本番で活用するという点でも試合に貢献している。
ディベート略歴
2003年夏までは主に質疑を担当。2002年夏のB論題準優勝のメンバーであり、2003年夏の準優勝・全国ベスト16では反駁につなげる質疑を身につけ、貢献した。また、秋以降は第2反駁などの修行中で、12月の第1回三重県大会では2反として準優勝に貢献・1月の千種杯優勝時には2反以外に立論も読んだ。
主な著作
『ディベート部生態調査』(2002年四高祭冊子で発表)など

―――そんなくだらない・・って思うかもしれませんが、本当にディベートって何にでも使えて面白いです。ここでまた勧誘っぽくなってしまいますが、ちょっとでもディベートをやったことがあれば、少なくともまわりの友達よりは確実に強い意見が出せるようになって、自分がその世界を支配したような気分になれますよ♪
『ディベート部生態調査』
部内役職・経歴
2002年:
ディベート部に入部
ディベート部副部長就任(2002.8〜)

現在:
ディベート部副部長

<ディベート部第6期メンバー>

ZAKU 人物紹介
ひょんな事から入部した2003年唯一の新入部員。一時期卓球部と兼部していたが、東海大会を生で見ることでディベートに感動を覚え、以後ディベートに専念……するはずだったが何を血迷ったか後期生徒会役員会長にも就任。ディベーターとしての実力・適正は未だ不明である。
なお、ガンダム・EVAをこよなく愛す。
最近の野望は人権HR委員になったのを利用してクラスでディベートをする事。
ディベート略歴
2003年12月13日に初陣。現在は立論と二反を担当している。
主な著作
『生と死は等価値か』(2003年四高祭冊子で発表)など

―――人間は生きている間に何を為したか、何を為すために自らの命を使っていたかでその価値は決まり、その価値が何もなく、何も誇るべき事ができない人などはただ呼吸していたモノに過ぎない。
『生と死は等価値か』
部内役職・経歴
2003年:
ディベート部に入部(5月中旬)
情報相に任免される

現在:
広報相
四日市高校生徒会長


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