ある男の一日


チュンチュン、チュンチュン
さわやかなスズメの歌声で私の一日がまた始まった。
窓を開けると太陽が包み込むようにその青く雄大な暖かい光を私に浴びせた。
ああ、なんというすばらしい光景だろう。この太陽を見るだけで私の心はいつも晴れ渡るのだ。私はその場で十字を切り、今日という日をまたはじめられたことを神に感謝した。

私は朝の礼拝を終えると、朝食を食べ始めた。私の喉を細かく切ったパンがとおった。
私の空腹はその神聖なパンによって、徐々に癒され、そして私はパンを食べられることを神に感謝し、十字を切った。

朝食を食べ終わり、身支度を済ますと私は学校に出かけた。
さわやかな朝日の下愛車St.Maria号に乗車した私をさわやかでそしてどこか寂しげな秋の風が吹き付けた。
そらは青く澄み、所々に小さなくもがぽっかりと雄大に動く、山はその緑を誇りながら私を見守っていた。道のわきの畑には小麦の穂が鮮やかな黄色を創りだし、その上をトンボがワルツを踊りながら飛んでいた。
ああ、なんという光景だろう。私はそこにはっきりとこの地球の、大地のSoulを感じ、何度も圧倒され転びそうになりながらも愛車を進めていた。

突然、私はあまりにも悲惨な光景を目の当たりにした。
思わず立ち止まり、絶句し、そして涙を流した。そこには一匹のトンボの無残な亡き骸が横たわっていた。私はその場にひざまずき、このような事態の為に携帯している数珠を取り出し、簡単な経を唱えた。そして、このトンボの冥福を祈りながら私は穴を掘りそこにトンボの亡き骸を埋めた。

学校に着いた私はあまりの出来事にショックを受け、放心状態であった。
そこで私の左手のWatchが鳴り始めた。我に帰った私は聖地メッカに向けて礼拝を始めた。そうだ。いつまでもくよくよしてはいられないのだ。いまもこの瞬間に消えていく命はいくつもある。その一方で生まれる命もあるのだ。死んでしまった命を弔うのも大事だが、生まれてきた命を祝福するほうがもっと大事なのだ。

トンボの死から立ち直った私は学校で授業を受けた。
先人たちが積み重ねてきたKnowledgeに触れるたびに私はそのすばらしさに感動し、驚き、時には涙ぐんだ。私の授業での涙ぐんだ回数は軽く一万回を超えていた。いったい先人たちはどうしてこのようなすばらしい知識、考えを作り上げたのだろうか、全くもって奇跡としか言い表せない。『10×10=100』や『水の蒸発温度が100℃』などの知識をどうして見つけることができようか、いやできるはずがない。そしてそのようなKnowledgeに触れるたびに私は自らの無知を実感し、もっともっと努力せねばと誓うのだった。

授業を終えた私は帰路についた。
そらはすでに赤く色を付け美しさと虚しさをはらんでいた。私は思わずHuman Lifeの無常さを考えずにはいられなかった。私はこのLifeでいったい何ができるのだろう。そしていったい何が残せるというのだろうか。私は無気力感に襲われ、周りの風景を堪能できないほど自分を見失っていた。

そこで、突然、そんな私の目さえも覚ます忌々しき事態を発見した。
なんとほんの2000メートル先で2匹のDogがお互いをにらみ合い今にも襲いかかろうとしているではないか。
私は急いで近づき、その場で座禅を組み、このような事態の為に携帯していた仏教説話集を取り出した。そして、私はFriendshipとは何たるか、Friendshipがいかに大切か、を淡々と説いた。始めは彼らもおさまらず、私に向かって罵声を浴びせたが、時がたつにつれてしだいにおさまり、そしてついに互いに逆の方向に向かって歩き出した。
私は2匹のDogの決裂を防ぐことに成功したのだ。私は私にこのようなGreat Abilityを与えてくださった神に感謝し泣かずにいられるはずもなかった。
2匹のDogが去ったあとには、ただ私と神が見つめているであろう空とすべてを育む大地があるだけだった。

私は家に向かってまた進みだした。
眼前には一日のFinaleを飾るべくすべてのPassionを注ぐがごとく燃え滾る太陽が力強く、そして全てを祝福するがごとくやさしく赤き色をかもしだしていた。
山はその太陽の赤と自らの微妙かつ大胆かつFantasticなContrastを誇るようにそして見せ付けるように風景というDrawing Boardの上に鮮やかに、しかし切なさを含みながら表現していた。
風がさわやかに私の横を吹きぬけた。その風には一日の終わりを告げる哀愁と、そして今日も一日を無事におえることができたという安堵を私は感じていた。
大自然のMiracle、いやContactを感じる、いや受け止める私は、その頬を人が創ることができる最もBeautyな液体で濡らすことなしにその場に居ることができるはずがなかった。

私はWatchを見た。時間であった。
私は聖地メッカに向けて礼拝を始めた。
ああ、しかし今日という日はなんといろいろな事件、いや試練を私に与えてくれたのだろうか。中にはあまりに強大なものもあった。しかし、それらはすべて神が私の成長のために課した試練、いや愛情以外の何物でもなかった。私が礼拝をするその大地には神へのThankが少しずつ現されていくのであった。

私は家に到着した。
そして夕食を食べた。私は自らの消化器官で微かに、しかしはっきりと大地のEnergyを感じていた。その大きさ、そして自らの小ささを感じると私は涙を流さずにはいられなかった。

夕食を食べ終えた私はTVを見ていた。
そこで私はある光景に虚を突かれ、泡を吹きながら倒れそうになるのを必死にこらえながら、屁をこいた。
なんとTVの画面では聖なる太陽が邪悪な漆黒の雲に覆われているではないか。その上部には月日が書いてありそれによるとその状態は三日続くらしい。その横には名古屋などの地名がいくつも書いてあった。
私はこれを三日間、闇がこの大地を覆うという神のお告げだと判断した。
そして、この瞬間私は十字を切りながら闇夜が支配する夜の大地へと飛び出した。

外に出た私はParkへと急いだ。
そして、そこに到着すると私は必死で経を唱えた。残念だが私にできるのはこれが精一杯であった。あとは神のPowerに任せるほかはなかった。

経を唱え終わった私は空を見上げた。
そこにはただ黒だけをもってそのすべてを表現する天とそして暖かくも怪しげな黄色を放つ月と星が散らばっていた。それはさながらHuman Life、いやFateという名の黒く深く厳しい道を行く生命を思わせた。風はさびしく、そして無気力に冷たく弱く吹き付けていた。
私の心にはやみ以外何もなくなっていた。

突然そんな私を明るい光が襲った。
それは一瞬であった。しかし私にとってはすべてであった。
私は肝心なことを忘れていた。闇は三日間だけであった。その後にはまた聖なる太陽が差すのだ。その光は私にそんなことを教えてくれる神の使者、いや神自身だったのだ。

空を見上げた。
さっきとは何も変わっていなかった。いや変わっていないはずだった。しかし何かが変わっていた。Hopeがあった。Dreamがあった。そして、神の愛があった。

私は家に戻り睡眠に入ろうとした。
今日という日と神へ感謝をし、そしてすべてのHuman Being、いやLife、いやUniverseの幸福を祈りながら私は明日という日のため、しばしの休息に入るのであった。



この物語は当然すべてフィクションであり、作者の独断で一人の高校生の一日を一部(全部)改変して書かれたものであり、モデルの人物および作者はこのような思想を全く持ち合わせていませんし、複数の宗教を信じているということは全くありません。



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