部長・京矢の言葉
2001年7月27日(金) 更新分    「受験生はつらいよ <消滅>」
現代文・・・・・・・・・27点
古典・・・・・・・・・32点
数V・・・・・・・・・17点
数C・・・・・・・・・13点
英R・・・・・・・・・33点
英W・・・・・・・・・23点
生物・・・・・・・・・9点
化学・・・・・・・・・11点
地理・・・・・・・・・20点
倫理・・・・・・・・・3点

「ぬううあ〜〜〜〜〜〜」
なんという恐ろしい夢だろう。期末テストでこのような点を取ってしまうなんて、パジャマが汗でびっしょりぬれて、むしろ冷えている。
ピピピピピピピー
とここで目覚ましがなった。しかしもうすっかり目が覚めていた私は平和的に右フックで止めた。
そして、学校に行ってSHR(ショートホームルーム)が終わると、先生が私に後で三担に来るようにといった。不思議に思いながらも行ってみると、3年教師陣が全員起立して最高の笑顔で拍手をしながらむかえてくれた。そしてある紙を手渡された。それを見た瞬間私も最高の笑顔になった。そこには上に書いた点数とこのままでは全て単位不認定であるということ、そして単位を取るために、夏休み毎日8:00〜19:00まで学校のある部屋と先生をいつでも使えるという、まさにパラダイスのようなことが書いてあった。
私はあまりのうれしさに手を足にして立ち、足を手にして走って教室に戻った。そこで私はまたクラスメートの温かい出迎えを受けた。ある人が言った。
「おまえ、今まで室長としては何もしてないから、飲食模擬の品物の作り方を全部調べてこいよ。もし、やってこなかったら・・・・・・」
私の夢のような夏休みはこうして幕を閉じた。


2001年7月7日(土) 更新分    「受験生はつらいよ <破滅>」
ピピッー ピピッー
う〜ん。うるさい。私はかかと落としをはなった。が目覚ましにあたらず、床を強打した。今日は目覚ましは壊れなかったが足が壊れてしまった。淡い公開を抱きながらも期末テスト初日のため、急いで1階に降りた私はとにかく朝ごはんを食べ、巨大な敵との戦いのため、気合のバンジージャンプをして旅立った。
しかし、私はあまりにも戦う準備がなされていなかった。今日は科学と英語だが、練習したのは前日のみだった。それでも何とかなるだろうと思っていた私はのんきに「明日があるさ」を口ずさんでいたが次の瞬間、私の目は見開き、奥歯はカタカタと機械音を発し、足は重力の逆方向から右に45度の角度にずれていた。それが示す場所は聖地東京競馬場であった。とにかく私は敵に挑もうと試みたが、あまりに無謀だった。それはあたかも、サンタクロースを絶対につかまえて、プレゼントを全て奪うと豪語する、山田君と同等の無謀さだった。

第1問・・・・・グルコースの分子量を書け。
私はこの問題にすべてをかけた。私の中ではあらゆる考えがさくらんしていた。「グルコースとは不良になることか?とすると分子量とは理想の子分の量だな。」
私は迷わず、13と書いた。


2001年6月12日(火) 更新分    「受験生はつらいよ <後悔>」
ピピピピピピピーッ
「うっ〜んがああ〜。」・・・・バゴ!
しまった、また目覚し時計を壊してしまった。最近ストレスがたまってしまっていたからとはいえ、980円もするものを、あまりにうかつだった。
さて、とはいっても今日はいわゆるGOLDEN WEEK。初日、これから始まる夢のような日々に今年は3連休、2日平日、4連休とかつてないほど休みが続く。サラリーマンなどは2日間の平日を休みにしてThe happiestの9連休にしてしまう人もいるという。(ていうか、うちの母親、ほんとうらやましい。)
まあそれでも今日から3日間休み、すでに中間の課題が出されているといっても初日は遊び、2日目から勉強をすればいいと思い。

初日 ゲーム6時間 勉強0時間

2日目 気分を入れ替えた私はすごいやる気を出してテレビの約2メートル後ろに座り、右手と左手の指を動かしていた。 ゲーム5時間 勉強1時間

3日目 とうとう本気を出した私は朝食を食べるとすぐに机に向かい数学の問題を解き始めた。しかしこれがかなり手ごわい。
「くそ、わからん。なぜだ。う〜ん。」
私はその場で目を閉じて考えた。そして次に目を開けた瞬間私は目の前で起こっていることを知り驚愕した。なんと、私はテレビの前に座り、テレビの画面ではやけにコミカルでラブリーなキャラクターが野球をしているではないか!
そして、なぜか、テレビからは「第1球投げた、ストライク、いいコースです。」と実況が入っている。そして私の指は○・×・△・□と書いてあるボタンを右手で押し、十字になったボタンを左手で押していた。
それはまさしく実況パワフルプロ野球であった。 ゲーム6時間 勉強30分

当初の予定通りに過ごせなかった私は私のみに起こった奇怪な出来事の全てを話しこういった。
「まあ、まだ4連休があるからな。」
「え、けど5月3日模試やで。」
私の中で何かが音を立ててくずれていった。


2001年5月12日(土) 更新分    「受験生はつらいよ <憂鬱>」
ピピピピピピピーッ
不気味な機械音がして今日もまた一日が始まった。
まったくこの音は何なんだ。笑ってるのか怒ってるのかどっちなんだ、はっきりしろ。
意味不明な怒りの感情がわきだした私は目覚し時計にかかと落としをして粉砕し、階段を下りていった。
とりあえず朝の支度を終えた私は憂鬱な気分のまま自転車に乗って駅に向かった。
くそ、今日も6間、授業受けっぱなしか、かったるい。
さぼりてー。受験なんて最低だー。

ピピピピピピピーッ
目が覚めた。何ださっきのは夢だったのか。全くリアルすぎる夢だ。
そう思いながら、いつもとは違う朝を迎えたものの、またいつもと同じ日常を過ごすために学校に向かった。
しかし暇だ。とても眠い。
少しでも気を抜くと次の瞬間には意識を失いそうだ。
まずい、だめだ。やめろ、やめてくれ〜!

ピピピピピピピピーッ
何、また夢だったのか。つまり私は夢の中で夢を見ている夢を見ていたのか。わけがわからんな〜。
私はいつものように学校に向かった。


2001年3月31日(土) 更新分
    「春季大会3位および私的ベストディベーター報告」
 はばかりながら、我ら四日市高校ディベート部は春季大会3位というかつてない好成績を収めることができました。さらに自慢げでいやらしいですが、私この部の部長はベストディベーターに選ばれる次第になりました。
 うれしいことが2つも同時に起こったので当日は非常にハイになりまして、夜なかなか眠れず、翌日の朝は6時に起きてしまうほどでした。
 さて、うれしさの報告はこれほどにしておいてディベート大会での裏でこのクラブで起こっていたことなどを話したいと思います。

 舞台は今から2ヶ月ほど戻ります。このとき春大会に出ると確定している人数は3人、つまり1人足りなかったのです。この時点では当日1人風をひかせて、3人で出る予定でした。しかし、その後協力者が現れ、私達は晴れて後ろめたいこともなく春大会に出ることが出来るようになったのです。
 さてさて、今度は一気に大会二日目の朝に舞台は移ります。前日辛くも2勝し、ブロック1位抜けをしたのですが、肯定側の立論に欠陥が見つかり、私は夜立論を考え直していました。(千種高校Bチームの皆さんすいません。あのプランはほとんど反則でした。)しかし、疲労によりろくに明日の準備もしないまま私は寝てしまったのです。
 そして、25日の朝、目覚めると外は雨。いやな予感はしたのですが普通にご飯を食べて、いつも通り準備をしていました。ところが、ビデオの予約などをやっているうちにどんどん時間は過ぎ、もう家を出ないと危ない時間になりました。底からレインコートを着て、自転車にまたがろうとした瞬間にあることを思い出したのです。
 「金がねえ」
 そして親に金をもらったのですがもう電車に間に合いません。仕方なく親に液まで送ってもらい電車に乗り込んだ後、私は念のため本の確認をしたのですが、なんと1冊あるはずの本がないのです。かなりあせりました。私はこの鉄道の終点の駅でみんなが乗る電車に乗り換えるのですが、終点につくまでにどうするか必死に考えました。最終的に私のとった行動は次のとおりです。
 1、家に電話、本を駅まで持ってきてもらうよう頼む。
 2、次の駅で電車に乗る先輩に電話、事情を説明。
 3、既に前の駅で電車に乗っている後輩達に立論と反駁の入ったかばんを停車時間の短い間に渡すため説明の手紙を作成。
 4、電車がついた後、一旦乗ってかばんと手紙を渡した後すぐに電車から降りる。
 5、車で駅まできた親から本を受け取って1本後の電車に乗って金城学院大へ向かう。
 そして、幸いにも大森金城学院前で降りてすぐにコンビニから出てきたみんなに会う事が出来たのです。このように私は多くの人に迷惑をかけて何とか今大会に出場し、べストディベーターにも輝いたわけです。ほんとに恥ずかしい限りです。皆さんもこうならないように特別な日は早く起きましょう。

 最後になりましたが、ベストディベーターになってしまって少しだけ後悔です。
 もう下手な反駁は出来ないんです。そう考えるとマジで胃が痛いです。


2001年1月28日(日) 更新分    「部員増の喜び」
 このホームページで部員が少ないとさんざん書いてきましたが、ついに、とうとう、やっと、なんとか、1人部員が増えました。これで、今まで2人でさみしく準備してきた時間ともおさらばです。考えてみてください。3人いれば、あんなことやこんなことや、こ、こんなことまで!できるのです。例えば、JDAの大会に試合出場人数で出られる。トランプの7並べが楽しくできる。3本の矢が折れる。ダチョウクラブの物まねができる。三角関係ができる?等ぱっと浮かんだだけでもこれほどのことができるのです。
 しかし、これだけのことができるといってもまだしょせん3人です。まだ、大富豪で、大富豪、富豪、貧民、大貧民と別れることはできません。なんたって、桃鉄やボンバーマンをやってもいまいち盛り上がりません。
 とにかく、まだまだ部員が必要です。今度の夏大会にはできるならA・B2チーム作って出られるまで部員を増やしたいです。今、部員が3人だから、A・B2チームが満足のいく人数で出るには後5人部員が必要・・・・・ということは現部員の人数を上回・・・・・・・・道は長そうです。
 しかしもし1チームでも満足のいく結果を出せればいいのです。そのためには、立論、質疑、一反、二反、ん!1人足りない・・・・・。
 このクラブつぶれないよな。 


2000年12月16日(土) 更新分    「優勝の挨拶」
 おかげさまでこの度11月19日に行われた第二回千種杯において優勝というこの部始まって以来の快挙を達成することが出来ました。応援してくださった皆さんまことにありがとうございました。
 しかし思えば優勝にいたる過程は実にみじめなものでした。いざ準備を始めようと思っても、なんせ部員がたったの2人、大量に図書館で手に入れた本も読みきるには至らず、一部は全く読んでいない本もありました。また、立論を作ろうにもアイデアがたったの2通り、さらにいざ作ってもどこが悪いのかをチェックすることが容易ではありません。
 とりあえず作った立論と、ある程度考えた反駁をもって千種高校に乗り込みましたが、いざ試合になってみると大苦戦。それに2人でのディベートをやったのは過去1回のみだったのでなれないことに四苦八苦しながら、決勝に進みましたが、私は判定を聞いているうちに負けたと思い込んでいたので、勝ったと聞いた時にはもう発狂寸前でした。
 このうれしさをかみしめ、次の大会でも頑張るのでよろしくお願いします。


2000年11月10日(金) 更新分    「私的・ディベートに対する心配」
 最近になって思うことだが、一体世の中にディベートの題材にできるネタはいくつあるのだろう。私は今まで規模の小さかったものまで入れると5つの論題でディベートをしたことがあるのだが、それらすべてがディベートをする以前にも知っていたことであり、ある程度問題になっていると分かっていたものだった。
 そう考えると今、ディベートの論題にできるものは案外少ないように思われる。(もちろん、ディベートにできる論題は数限りなくあるのだが、ここでいう論題は高校生が試合で扱う論題。すなわち政策論題である。)
 もともと、一年間で政策的に問題になり、社会で話題になることというのはそう何個もあるわけではないし、話題になってもすぐ導入されてしまうものもある。それに中には明らかにどちらかが有利なものもある。ゆえに私には1年間で発生する、ディベートの論題にできる問題はとても少ないように思える。
 いつか一度もしたことのない論題がもしなくなってしまった場合、はたしてディベートはどうなるのだろうか。


2000年10月26日(木) 更新分    「挨拶」
 始めまして、9月14日に新しく部長に就任した鏡谷です。ちなみに名前の読み方は「きょうや」でもなく「かがみや」でもなく「かがみたに」と読みます。間違えないで下さい。
 何せ2年生の部員が一人だったので、部長になることはあらかじめ分かっていたので、今更何も言うことはないのですが、とりあえず、これだけは言いたいと思います。

「誰か部に入ってください!」

 いや、本当にこの部は危ないんです。冗談抜きで、部昇格1年で廃部になるかもしれないんです。今の正式部員は僕を除くとこのホームページの管理人ただ1人。来年新入部員が入らないと非常に危険なんです。
 ですからこのホームページを見ていて、四日市高校に入ろうと少しでも思っている人、今入ると即レギュラー。お得ですよ。だまされたと思って入ってください。
 最後に、このホームページを見ている皆さん、本当にありがとうございます。



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