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愚留米のディベート日誌


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2003年3月5日(水) 更新分    「ディベート部引退演説」
去る3月3日、四日市高校では卒業式が挙行され、自分も高校を卒業することになった。思えば3年間、ディベート部においてもクラスにおいても、本当に楽しい思い出ばかりだった。卒業に際してもディベート部では記念品をもらい、またクラスのみんなとも最後に楽しい時間が過ごせた。
このように幸せな3年間が送れたのは、やはり出合った全ての人々のおかげである。特にディベートについていうなら、ディベート部を築き上げた先輩たち、活動を支えてくれた他の部員や後輩たち、ディベート部を見守ってくれた顧問をはじめとする学校の先生や良き理解者であった友達、そして他校のディベーターやジャッジ・スタッフなどなど・・・。数え切れないほどの方々にお世話になって、自分のディベート人生とディベート部の存在があるのだと思うと、感慨深いものがある。

さて、最後に自分がディベート部に言い残すべきことを考えてみたのだが、まずは後輩たちには自分たちが楽しいと思える活動をして欲しい、との一言に尽きるだろう。しかし、その中に、ぜひ「良い試合をする」ということだけは常に入れておいて欲しい。勝たねばならないというのではなく(無論、勝ったほうがいいし、公式大会での勝利は部員勧誘の面でも部の目標としての面でも至上命題ではある)、納得のいく試合をしようということである。
ディベート部の活動における楽しさは、あくまでディベートの中にあるべきである。全国大会に出場した現メンバーは、もちろんそのことを知っているはずである。試合への準備や、白熱した議論の延長線上に新たな出会いや収穫があることは、決して忘れてはならない。

やはり、もう一言触れておかねばならないのは、部員勧誘についてだろう。ディベート部の歴史を概観するとき、それは常に部員不足との戦いであった。自分たちの引退後もディベート部には5名の部員が残る。だが、部員が消えるのはすぐである。気を抜けば、また欠員をごまかして大会に臨まねばならないのだ。
部員勧誘はいつまでもディベート部の主要業務であり、我々はそれを忘れてはならない。ディベート部の姿は常に外部に発信されているのが望ましい。このHPのディベート日記も最近は更新が滞りがちだが、もう少し頑張ってほしい(毎日とは言わないが、せめて週1回でも学校や部活の様子を伝えてほしい)し、これからも本業以外の執筆活動を続けてほしい。それは単なる脱線ではなく、ディベートにもつながる重要なことであると自分は信じている。

さて、以上が引退に際しての言葉であり、最後のディベート日誌となるわけだが、最後に部を作り上げた初代総裁への敬意を表しつつ自分の思いを演説にまとめることにしたい。総裁といえば機動戦士ガンダムであるということで、その中でも屈指の名シーンと称されるジオン公国総統ギレン=ザビのガルマ追悼演説(機動戦士ガンダムのTV放送版を参照)を模した演説文を以下に記すことにする。
そういえば、四日市高校でも昨年の生徒会会長が引退演説で最後の決めセリフ『ジーク・ジオン』を叫んでいた。自分は内心「どうせなら全文それらしく真似てくれ」と思ったものだが、この機会にそれを実現しようと思う。アニメを知らないと面白くないかもしれないが、その点はご容赦いただきたい。
(以下の文章はアニメ本編の演説を模したものですが、本編の文章が過激なため意味不明もしくは不快な表現があるかもしれません。その点は「脚色」としてご了解ください。また、本文中のADCとは四日市高校ディベート部の略称です。)

―――――――――――――――――――――――――――――――

我々は昨年、東海高校に全国制覇を阻まれた。これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!

四日市高校吹奏楽部に比べ我がADCの部員数は20分の1以下である。にも関わらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か!諸君!我がADCの活動理念が正しいからだ!
一握りの官僚や政治家が経済大国として膨れ上がった日本を支配して50余年、日本の未来を担う我々高校生が希望を求めて、何度日本政府に踏みにじられたかを思い起こすがいい。ADCの求める、よりよい未来を模索するための議論を、神が見捨てる訳は無い。

私の目標、諸君らが求めてくれたADC予算増額は否定された、何故だ!
戦いはやや落ち着いた。諸君らは部員不足による廃部を対岸の火と見過ごしているのではないのか?しかし、それは重大な過ちである。ディベートをイメージだけで敬遠する生徒は無限の可能性を秘めたディベートに触れられる校内唯一の部活動を知らずして生き残ろうとしている。我々はディベートの本来の姿を四日市高校の生徒たちに教えねばならんのだ。

大エム氏は、私や諸君らの甘い考えを目覚めさせるために、部の存続に尽くした!戦いはこれからである。
我々のディベート力はますます発展しつつある。他校のチームとてこのままではあるまい。
諸君の先輩も、他チームの強力な反駁の前に敗れていったのだ。この悲しみもくやしさも忘れてはならない!それを京矢総裁は昨年の全国優勝を願う年賀状を以って我々に示してくれたのだ!我々は今、この無念さを結集し、ディベート甲子園に叩きつけて初めて真の勝利を得ることが出来る。この勝利こそ、引退部員全てへの最大の慰めとなる。

部員よ立て!敗北を次の試合への糧に変えて、立てよ部員!ADCは諸君等の力を欲しているのだ。

ジーク・ディベート!!


2002年8月8日(木) 更新分    「全国大会を終えて」
去る8月5日、全国大会が終わった。高校生活3年間の集大成であり、おそらく(おそらくと書いたのは、春に条件が揃えば出てみたいという未練がましい気持ちから)高校最後の大会であった。

思えばディベート部入部の当初から、全国大会は遥か遠くの夢の舞台だった。よく「全国大会だけがディベートの目的ではない」といわれるし、もちろんそのとおりなのだが、やはり自分にとって全国大会は特別の存在で、東海予選の試合では何が何でも負けられないと緊張してしまったこともあった。

そんな全国大会。今年は厳しい試合の連続だったが、昨年を上回るベスト8の結果を残すことが出来た。これまでリサーチしてきたこと、考え抜いてきた議論が生かされた結果だと思う。
もちろん、悔いが全くないというわけではない。自分も全試合で完璧にスピーチを選択したわけではないし、ジャッジに伝わっていないことを分かりながらスピーチを続けてしまった試合もあった。きっとシリウスにとっても同様な試合があっただろうし、また登録メンバー全員を出そうとした方針のため、厳密に言えば全試合で最高の人選をしたとはいえないのかもしれない。
しかし、それらも含めてみんな「四日市高校ディベート部の試合」だったのだろう。チーム全体としてやり残したことは無いし、自分たちの実力は出し切ったはずだから。

ちなみに、四日市高校が最後に敗れたのは東海高校である。
東海高校には地区での練習会からお世話になり(幸いにも、シード校だったので東海大会では対戦しなくて済んだ)、何度も練習試合をさせてもらった。たくさんの強豪校と練習試合をしてきたが、やはり自分にとっても東海高校は特別な存在で、これまでに本当に多くのことを参考にさせてもらったし、また東海高校に勝つことを目的にしてきたのも事実である。
実を言えば四日市高校は東海高校に公式戦で勝利を収めたことは一度もない。これはもちろん実力の差であると認めざるを得ないだろう。ただ自分は、最後の試合では互角に戦えていたのではないかと思う。別に勝てていたとかいう意味ではなく、自分が入部してきて目指してきたチームに対してひけをとらない試合が出来たという意味で。M岡総裁・京矢総裁の代からの悲願は達成できなかったが、最後の試合はディベート部にとっても自分にとっても記念すべき試合だった。そう信じたい。

それでも、厳しいことを言えば、いくつかの課題が残る大会ではあったと思う。
まずは、試合内容について。今回の大会では4回勝つことが出来たのだが、3-0での勝利は1つだけであった。それはもちろん対戦相手が強かったことに大きく起因しているのだろうが、それだけではないと思う。
2-1での勝利はある意味ジャッジを説得しきれなかったことと同義だろう(もちろん、得票数だけが判定の程度ではないにしろ)。票が割れてしまったということは、ジャッジに対して十分なアピールが出来なかった、自分たちの議論を取ってもらうための動機を与えられなかったということであろう。
大会の最後に話を聞いたのだが、これからのディベートでは「効率よく」議論を進めなければならないのだと思う。今年の試合が効率を欠いていたとまでは思わないが、より論点を整理し、強烈に聴衆を説得する議論を提出することはできたはずだ。難しい課題だが、来年のチームにはそういったディベートを期待したい。それだけの試合はできるメンバーだと思うし、逆にいえばそのようなディベートが出来なければ来年の全国大会で四日市高校が論壇に立つことは難しいだろう。

もう一つは、試合に対する意気込みについて。
これは自分の杞憂かもしれないが、今年のチームはメンバーが増えた分、チーム全体として勝とうと思う気持ちが少し弱かった―――今年の優勝校、創価高校の言葉を借りれば「全員ディベート」が出来なかったように思われる。
それは立論や反駁の作成など準備の大部分を自分がまとめてしまったことに大きな原因があったのかもしれないが、それでもチームとして一つの目標に向かっていく意志は高められたはずである。
これは自分の思い違いかもしれないが、最後の試合で負けた後にシリウスを除く他のメンバーはさほどショックそうでもなかった。こんなことを言うと何だが、自分は正直泣きそうだった(その後取材の人が来たので思い直したが)。別に泣けとは言わないが、自分達が準備してきたことを思えばもっと悔しがるなりしてよかったのではないかと思う。もちろん明るく終わることだって大事だ。しかし、来年につながる負けにするためには、負けた悔しさを感じることも大きいのではないか。
(この段落に関して問題のある表現があったのですが、それについては2002年8月9日のディベート部日記で詳しく取り上げています)

今年の大会では5回反駁をしたのだが、何回か反駁後に足が震えるような思いをしたし、判定後にはどっと疲れが出たりもした。ここまで試合に打ち込めたことはなかなか無かったのではないかと思う。
後輩には、これ以上ないと思えるような試合を経験してほしい。また、そのためにも悔いが残らないようにリサーチもしてほしい。ディベートという体を使わない競技であっても、一生懸命打ち込めば他の競技と何ら変わらないものが得られる(と自分は思う)ことを感じてほしい。

長々と書いたけれど、最後にはやはりお礼の言葉で終わりたいと思う。
ディベート甲子園に参加するまでに関わってくれた全てのチーム・スタッフやその他の方々へ、どうもありがとうございました。


2002年7月8日(月) 更新分    「ディベート部の変化」
全国大会への出場が決まり、これから本当の戦いに突入することになる。
ディベート部でもこれから全国大会に向けて準備を加速していくことになるだろう。

思い起こせば、ディベート部は本当に変わったように思える。
自分がいなかった社研時代は知らないが、ディベート部第一世代として入部し、そしてM岡総裁以下強烈なキャラクターを幾人も見て育った自分にとって、今のディベート部は本当に毒の無い(自分が毒なのかもしれないが)チームである。

ディベート部の歴史は部員勧誘の歴史であったのだが、今では1年生4名を迎え、そのBチームは本隊のAチーム以上の成績を収めた。
部員が足りない時代は終焉したとも言える(自分が引退するとまた減るが)。

ディベートの方法も変わった。M岡時代の資料読解量は半端ではなかった。あのころは本当に「追い込み」という言葉の意味を知った気がする。あの頃は強力な部員たちに囲まれて独特の楽しさがあった。
その後京矢時代は資料読解の効率を上げ、M岡時代の遺産を引き継ぎながらさらにディベートというものを知った時代だったと思う。人数が少なかった分作業は集中して行われたし、試合をするごとに勉強になっていった感じがした。余裕も生まれ、たまにはおもしろ反駁を入れたりもした。

そして、今Bチームを見るに、自分たちとはまた違うディベートをしているようだった。
人数が多い(といっても4人)からか、チームでの準備が印象に残った。試合も見せてもらったが、ジャッジに言われたことや自分のアドバイスなどをしっかりと反映していて感動すら覚えた。若いことは素晴らしい。
何より、後輩たちがディベートを楽しんでくれていることがうれしいかぎりだ。

ただ、部が変化したことで多少の新たな悩みも生まれた。
まずは、日程の調整について。これまでは自分を含めて全員がディベート一本キャラクターだったり特にすることのない人々だったため、日程調整という言葉すら不要だった。
しかし現在は部員たちの声を聞き、みんなで納得いく日程を考えねばならない(みんなまだ遠慮している感があるけど、自分としてはみんな自分の用事も大事にしてほしいと思っている)。これは不便にも思えるが、まともな部活動に「なった」という見方も出来る。
これまで他の部活とはすこし違っていたディベート部がそうでなくなった結果の一つのように思える不便さであり、寂しさとともに安心感を感じる今日この頃だ。

またもう一つの、未知の悩みがあった。
全国メンバーを「選抜」するというこれまでありえなかった悩みだ。実は本日その選考を終えたのだが、部長として公平な判断をしたつもりだけれどやはりそれが本当に公平だったかは確信をもてない。自分が選考を行えるような人間には思えないし、またそういうことは本当はしたくなかったから。

とはいえ、こうした流れはディベート部が成長するためには避けては通れない道である。
今のディベート部は紛れも無くこれまで思い描いてきた理想であり、現に今自分は本当に幸せだと思っている。今後自分が引退しても、ディベート部がまた新たな道を歩み、ディベートを楽しんでくれる人が増えてくれるのを自分は願っているし、またそうなると信じている(ずっと不可能と思ってきたことが今実現しているのだから、この希望もきっと叶うだろう)。


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