愛は虚数単位


世の中には変わった人がたくさんいます。
例えば、ディベートなどという競技が好きで好きでたまらなくて、遊園地に行ってもディベートの話をしてしまったり、電車の中で友達に会っても資料から目が離せなかったりする人たちです。
ほかの人からすれば彼らは変わった人ですが、彼らにとってそれは普通のことです。なぜなら、普通の人は自分が好きなことや楽しいことをするものだからです。

しかし、あまり行き過ぎてしまうと悲しいことになってしまいます。
例えば、ディベートをやりすぎて大学に落ちてしまった人や、図書館からの督促状に疲れ果ててしまった人など、ディベートが好きであったがために傷ついた人もいるのです。
もちろん、別にここでディベートがいけないものだとか言いたいのではありません。むしろ、こういうことは何にせよ言えるのです。

例えば、好きで好きでたまらないものがあったとします。別に何を思い浮かべてもらっても結構ですが、ここでは大好物の食べ物で例えてみましょう。
まだ食べていなくて空腹の時には、食べたくて我慢ができません。ですが、ひとたび食べてしまうとその瞬間、我慢できないほどの気持ちは無くなります。そして、食べ過ぎるともう見たくも無くなってしまうか、気持ちが悪くなって吐いてしまいます。
『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』とは少し違うかもしれませんが、好きなものでも、たくさんあると嫌になってしまうのです。

要するに、一番幸せなのは好きなのに満たされていないという状態なのでしょう。
愛はそれ一つなら愛のままでいられますが、もう一つ加わるとマイナスになってしまうのです。
この関係から愛を虚数単位(i ) ・・・(*)とおくと、i =−1の式によって表すことができます。愛が重なると負の数になってしまうのです。(ii =2i ではないのか、と気づいた人はディベートに向いているのですぐにゼミ室に行ってその才能を開花させましょう)

愛が虚数単位であるのなら、それは実数平面上には存在し得ないわけですから、しょせんただの幻想に過ぎないということもできるでしょう。
しかし、それではあまりにも冷たすぎます。ディベートやその他の競技の選手にとって大会への思い――自分の夢や目標への惜しみない愛――は確かに存在するわけですし、その他の愛も間違いなくあるでしょう。
ですが、やはり満たされてしまった思いは良い結果を生まないことが多いのです。

こんなことを書いたのは満たされないことへの負け惜しみからではなく、ディベートへの愛からの理由です。
ディベートを今ひとつ好きになれなかったり難しそうに感じている人にこそ、逆にディベートを楽しめる可能性が広がっているのです。これを愛が虚数単位だとして先の定義に従い数式で表すと(−i i =−i =1 となります。

フランスの小説家バルザックも「人は反感から愛へ向かう」との名言を残しています。
あなたも是非、「変わった人」の仲間入りをしてみませんか?


(*)実数に対し、i =−1、i =√−1であるような数として定義された「虚数」を表す記号で、「アイ」と読む。複素数の分野で学習するもので、実数解がないx  =−1のような方程式の解を虚数解として表すのに用いたりする。
複素数は難しいので、高校生にとっては見るのも嫌な記号。
(新過程では複素数は詳しく扱わないそうですが・・・)



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